信号待ち、止まる時間に見える風景

信号待ちの時間に見える景色、そこから生まれるエッセイ。

「お米が貴重な食材に」

 それは本当に値上がりしていた。

 運転中にラジオから聞こえてきたニュース、お米は値上がりを続け、5キロ4000台で売られているという。にわかに信じがたい価格だ。夕方、スーパーでお米の値段を確認した。4000円台、高いものは5000円に近い値段でお米は売られていた。昨年の秋ごろお米が販売店から姿を消すという出来事があった。それ以降、店頭での小売価格は上がり続けているというのだ。独り暮らしの私は、自炊をしないのでお米を買うことはしない。それでも、パックライスやおむすびは値上がりした。お弁当はあきらかにご飯の量が減っているものがあり、事の大変さが伝わってくる。

 政府は対策として、備蓄米60万トンを随意契約した業者に売り出す。末端の販売価格は5キロ2000円程度を目安とするそうだ。私はここ数日、スーパーに行くと必ずお米のコーナーを覗きに行く。備蓄米は売られているのか、その値段は、と関心を持っている。今のところまだ、近くのお店では販売されていない。60万トンという量を運ぶトラックの手配が間に合っていないのが理由のひとつだそうだ。集配運転手の私は思う、これだけ物流業界の人出不足が問題になっている最中、早急な手配は難しいのではないかと。

 しかし、この2000円程度、という価格は妥当なのだろうか。もう少し高くても良いのではないか。家庭にあるほとんどの物は、一度トラックに載っている。ガソリンの価格はあがり続け、それに伴うかのように物価は上昇している。値段が据え置きの商品があったなら、何らかの理由があるはずだ。生産者、運送業、中間業者、または小売店、どこかが割食わされているのではないか。ガソリンのみならず、材料費も全て価格が上がり続けている。値段を変えないで販売し続けると、どこかに必ずしわ寄せがくるのは無理もない。

 普段、2トンのトラックに載っている私にとって、60万トンという量は天文学的だ。30キロの玄米を200個積んで6トン、その10万倍の量をトラックに積み込み運ぶ。もちろん機械化は進んでいるだろうし、大型トレーラーで運ぶのだろう。精米され商品になった5キロ、10キロ、のお米を小売店まで運ぶ。誰かが手で運び、店頭に並べるという作業をしているのだ。およそ5キロ2000円という金額は、携わった人々全てを報うことができるのだろうか。私は集配運転手として、農業従事者の方々にシンパシーを感じている。汗を流しながらのきつい作業は、私も納品、回収時に同じ思いをしている。天候に作業の難易度が左右されてしまうのも同じだ。ここ数日、急に暑くなってしまった。汗を流して物を運ぶ労働の適正な評価はいくらが適切なのだろうか。

 私の田舎には、田んぼの広がる風景がある。日本人の主食であるお米が、大地から水を吸い上げ育ち年に一度、実り収穫される。その後、店舗に並ぶまでの流れ全てを見ることはできない。店頭で売られている商品、4000円台の値札がついたお米が、もっとも身近で目にする今の現実だ。買う立場になった時には安い方が良い。しかし、物流を担う一人として同業者、そして農家のことを考えれば、安い方が良い、とばかりは言えない。ある程度、価格が高く保たれないと困る、という面も理解してもらいたいのだ。

 お米が安定供給され、おいしいご飯を安心して食べることができれば良い。私の原風景ともいえる夏の田んぼ、稲は無言でわずかな風になびき続けている。

東京で雪が積もると

雪が積もると、東京ではニュースになり、ワイドショーの話題になる。通勤電車や、物流のトラックが止まり、大勢の人の生活に影響がでてしまうのだ。私は集配ドライバー、スマホの天気予報アプリをこまめにチェックしている。一週間先までの天気を確認できる。精度が高く、一時間単位での予報が見事にあたってしまう。
この冬、深夜から明け方までの間、雪の予報になっていた日があった。何日も前からその雪だるまマークが気になった。過去の雪の日の集配を思い出し、私は不安になった。タイヤチェーンを付ける作業、積雪の中での運転、集配作業、明るい気持ちにはなれない。
 その夜が来た。深夜から明け方にかけて雪の予報。とにかく眠ろう、明日に備えて。
12時半ごろ目が覚めた。窓を開けると、冷たい空気を感じた。雪が降り始めている。気持ちが落ちた。願わくは、予報が外れて欲しいと、そんな思いもあった。今夜は外れてくれと。
 その後は眠れなくなってしまった。不安が不安を呼んでくる。タイヤチェーンの装着、集配時間の遅れ、それから事故。ベテランドライバーが事故に巻き込まれた。いくら自分が安全運転に注意しても、他の車がスリップしてぶつかってきては防ぎようがない。
タイヤチェーンは車に乗っていたか、確か助手席の足元にあったような。なんでそんな大事なものを確認しなかったの?チェーンは新品だろうか、コンディションは?以前、タイヤとサイズが合わなくてつけられなかった出来事も思い出した。頭の中でいろいろな心配が連鎖した。心配の雪だるまは転がり大きくなっていく。とにかく混乱した。
もう一度、窓を開けてみた、降り続いている。隣の家の屋根には雪が積もり始めている。明日は雪の中での集配となるのだ。睡眠不足の身体ではほかの誰でもない自分が苦しむことになる。焦った、ますます寝られなくなる。夜は深く静かだった。
 気がつくと、朝のアラームが鳴った。 とにかく準備して、外にでた、そして驚いた。積もっていたのは、わずかな雪。屋根の上、車のフロントガラス、道路の脇にうっすらと、ほんの少し積もっていた、ただその程度の雪だった。この様子では運転にほぼ支障なしだ。夜中に見たのは幻想だったのだろうか。心配は消え、普段と同じ集配モードに頭が切り替わった。曇天模様の早朝、私を乗せたトラックは走りはじめた。午後には太陽の日も差してきた。夜中に不安に包まれて描いた出来事は何一つ起こらなかった。
暗闇の中で考える出来事は必ず現実にはなるとは限らない。粉雪のように心に降り注いだ不安や心配の粒、それらはすべて日中の太陽光で消えてゆく。

午前9時ごろの風景

 私は集配運転手だ。高齢者施設にリネン、タオル等を納品している。

 ある施設に午前9時ごろ納品に伺う。いつも窓辺にある椅子に腰かけ、日光浴をしている老夫婦の姿をそこで目にする。太陽の光が、窓から二人を照らすスポットライトになっている。こちらに気づいている様子はない。

 会話はなく静かなその様子が、憧れの姿に見えてしまう。毎日スケジュールに追われ次の集配先へと急ぐ私とは、全く異なるゆっくりした時間を二人は過ごしている。

 大型テレビのある広間を横切り納品先へ向かう。「おはようございます」私はやや大きな声で挨拶する。そこに集まっている利用者さんたちの返事はない。わずか数人ほどが、私に視線を移すのみだ。

 品物をリネン庫の棚に全て納め終わると、次は回収作業だ。山積みになった回収物の袋を、カゴテナに載せていく。いつの日か、この作業ができなくなる時がくる。大きな袋に入った使用済みリネン、タオルはかなり重い。そして、私はいつまでこの仕事を続けられるのか。集配運転手に明確な定年はない。70代の集配ドライバーも何人かいる。自らギブアップする時、その時がこの職を去るときだ。

 施設の中は空調がほどよく効き、冬の時期は暖かさが心地よい。しかし、作業していると汗がにじみ出てくる。
 ここには医療スタッフも常駐し、食事も朝昼晩、毎回用意される。心配はなにもない守られた環境にも思える。

入所して生活している利用者さん達にも、それぞれの人生があったはずだ。いずれ私も「そちら側」になる時が来るのかもしれない、あたたかい場所で守られる側に。そう思える私はまだ、「こちら側」にいるのだろう。社会の中で集配運転手という役割を持ち、心身ともに自立した生活をしている、そんな側に。

 私の勤める会社で一昨年から週休2日への取り組みが始まった。その影響で、私の担当はルート集配から、休日シフトで休む運転手の代走へと変わった。職務の難易度が急に高くなってしまったのだ。毎日、違う車に乗り、異なる地域を走っている。「もっと若くて、体力のあるドライバーは何人もいるのに、なんで私がこの役割なの?」、と不満もつのる。投げ出したくなり、転職を考えていた時期もあった。しかし、私の仕事人生はこれから、あまり長くないのはあきらか。じたばたするのはやめにした。

 日光浴をする老夫婦の姿が、憧れに見えてしまう私は、なにか大きな思い違いをしているのだろう。私は、お二人の生活の、ほんのわずかな瞬間しか見てはいない。
生きていれば誰しも必ず「高齢者」になるのだ。私にも働きたくても、そうできなくなる時がきっと来る。だから「その時まで、もう少し、あと1日だけ、がんばってみるさ」、心の中で自分にそう言い聞かせる。

 いつの間にか私は何かを諦め、認め、受け入れ、そして決心したのだろう。「もう少し、あと少しだけ」と、私は何度も自分につぶやいている。そんな思いも載せて、毎日トラックを走らせ続けているのだ。

 集配トラックの出発は朝早い。2月のこの時期は未だ寒い時間帯だ。早朝、ひと晩の寒さで冷たくなったエンジンを始動させる。その時、ふと日光浴をしているあの老夫婦のあたたかい姿が、目にうかんだ。「今日も9時ごろ、伺いますよ。」

集配トラックの運転席から見た休日の羨望

 フロントガラス越しに見えているのは長い車の列。集荷センター近くに大型ショッピングモールがある。週末、モール沿いの道路は、大変混雑する。私は集配ドライバー。今、トラックに乗りまさにその渋滞の最中にいる。

 運転席からは、周りの車内の様子がよく見えてしまう。子供連れの家族が目立つ。話している顔、笑っている顔。疲れたお父さんがハンドルを握っている姿も見える。休日のひと時を過ごしているそんな姿が、全て羨ましく思えてくる。こちらは集配の最中だ。時間だけが過ぎ、車はほとんど前に進まない。この渋滞はほぼ毎週のように発生する。皆さん、休日は「ステイホーム」してください、とまでは言わない。が、せめてバスや電車を利用していただけないだろうか。少しは渋滞の緩和につながるかもしれない。ふと、そう思ったりする。

 しかし、20年位前、私も家族を車に乗せて出かけている側の人だった。

 当時、工場勤めをしていた私は車の運転が大の苦手。高速道路などは、ヒヤヒヤしながらハンドルを握っていた。そんな私にも、家族を連れて車で出かけざるをえない日が何度かあったのだ。

 郊外のレジャーランドへでかける日曜日。朝から大勢の人で混雑した園内を、1日中歩きまわる。アトラクションに乗るのも、食事をとるのも長い列に並ぶ。そして、日が暮れるころには、「パレード」が始まるのだ。私にはそのあと自宅まで2時間の運転が待っている。明日の仕事も気になり始める時間帯でもある。体はクタクタだ。

 「もう帰ろうよ」、そんな私の提案は家族全員に反対される。妻も娘もパレードをみたがっている。キャラクターの行進が終わり、お土産を買うのだが、ここでさえ混んでいる。楽しみにきたのか、疲れにきたのかわからなくなる。

 園の駐車場を出たとたんに、車の中で家族は眠りにつく。そんな家族を乗せた車は渋滞している高速道路をノロノロと進む。思えばその時の私の姿は、物言わぬ荷物を運び渋滞の中にいる今の私とほぼ同じではないか。あまり楽しいとは思えなかったひととき。そんな時間も、全て過去の出来事になってしまった。

 「休日は家でゴロゴロして過ごすのが最高の贅沢」、その思いが当時も今も変わらない。もっとゆっくり家で過ごせばよかった。家族の時間を少しは密に持てただろう。

 週末のひとときを渋滞の車の中で時間を過ごす皆様、自宅でのんびり過ごされてはいかがだろうか?やむなく、お出かけの際には、電車やバスの利用を検討されてはいかが?行き帰りの移動の負担を皆で平等に共有できる。家族の対話も生まれる、お土産も、自分の両手で持てる量を考えて買うようになるでしょう。

 渋滞の列の中で、ふとそんなことを思う。トラックは先ほどからすこしだけ前に進んだ。私は静かな運転席でややイライラしながら、列が前に進むのをひたすら待ち続けているのだ。

台風の日にも集配トラックは走る、走る、走る

 大粒の雨がフロントガラスをたたく。ほとんど前が見えない。朝から高速ワイパーも全く役に立っていない。台風がきている。私は荷物の集配仕事をする運転手。雨の日は外での仕事が普段よりも難しくなる。商品を濡らさないように、よけいにひと手間かけている。ビニール袋で包み、カバーで養生して品物を運ぶのだ。雨粒がついた、たったそれだけで、お客様クレームになりかねない。たとえ中身には何の影響もなかったとしても。余計な時間が納品の度に続く。雨の日のルート集配は、まず予定通りには進まないのだ。令和6年8月の台風10号、進みは遅く、勢力を増しながら東京にやってきた。こんな時は誰も外に出たいとはおもわないだろう。

 

 トラックの集配便は、なかなか中止にはならない。都内のコンビニは一時営業停止、飛行機は全便欠航、新幹線も運転を見合わせ、高速道路も通行止め、ラジオからそんな知らせが次々と入ってくる。「こんな雨の中で働いているのは俺だけだ…」いや、工事現場での旗振り交通整理、産業廃棄物の回収、あるいは線路の保全技術者、周りを注意深く見渡せば、働いている人はいくらでもいる。同僚のドライバー達も今、同じ空の下で集配をしているはずだ、と自分に言い聞かす。雨はポケットの中までしみこみ、気がつくと財布の中のお札まで濡れている。

 

 大手インターネットショップの配送車を見かけた。ドライバーが小さな荷物を抱えてマンションに走って行った。予定の日時にきちんと届くのがあたりまえ、それが現在の配送では「常識」だ。インターネットでの買い物は、クリックひとつで明日、時にはその日のうちに品物が手元に届いてしまう。それがボールペン一本であれ、アニメのグッズ一つであれ。台風だからと外出を避け、部屋でネットショッピングを楽しんでいる人もたくさんいるだろう。その気軽なクリックが、台風の中で車を走らせ、配送ドライバーをずぶぬれにさせている。不在ならさらにあとでもう一度、配達に行く。誰もそこまでは考えないだろうけれど。無料サービスとして行われる配送すらあるのだ。私だってネットで注文したあとは「早く届かないかなぁ」、そんなことしか考えていない。

 

 私の納品先にはリネン庫の棚が在庫であふれている病院がいくつもある。一度ぐらいスキップしても全く問題はない。雨ならまだしも台風の日ぐらいは、運休にしてもいいだろうに。しかし、そんな甘えは許されない。

 

 雨は長靴の中にまで入ってくる。「もう、この仕事は辞めよう」、と私は心の中でつぶやく。しかし、本当に辞めたいわけではない。こう呟き一旦気持ちを切り替えて、その場での作業を続ける気力を出している。雨と風は全く止む気配がない。「お客さんは今日、この品物がほんとに必要なのだろうか?」ふとそんなことすら思う。とにかく私はトラックを走らせ続ける。やまない雨はない、明日になれば台風は去るだろう。とにかく、トラックを走らせ続けているのだ。