田舎か都会か、それが問題だ!

都会をはなれて田舎での暮らしを始めることに?

与えられたシナリオ、自己の生き方

昨年は父親を亡くした。

その時から、自分の生にも限りがあることに気がついた。

もちろんそんなことはわかっていたのです。

しかし、身近な人の死が、より現実的なものとして、残りの人生を考えさせた。

はたして、振り返ったときに自分の人生はこれで良かった、と思えるだけがほんとにいいことなのか?

そればかり、とも言えないのではないか…

想いどおりにはならなかった人生、でもそれなりに自分でいろいろやってみたよ。

そんな生き方も良いのではないだろうか、などと思ったわけです。

全ての人が、自分の希望する職に就き、もっともふさわしい伴侶を見つけ結ばれる。

というわけにはならないのでしょう…

どんなシナリオが準備されているのかは誰にもわからないのですが。

与えられたシナリオを精一杯やればそれでいいのではないでしょうか?

それはいつも「がむしゃら」にやれば良い、という意味ではないですよ。

与えられた場所でしっかりとやってみる。

もちろん、役割が終わったら次へ移動する…それも大切。

しかし、終わった瞬間に後悔、懺悔、喜び、快楽、それら全てと切り離される。

もっと言えば終わる前に、生きていても自分の身内すらわからなくなる時が来るかも。

老いる、年を取るということが決していけないことではないと思う。

むしろ「老い」を認識して受け止めて生きる、ということは尊い

 

「幸せ」という言葉にとらわれすぎる辛さ

「幸せ」という言葉だけにとらわれ過ぎていました。

そもそも「幸せ」ってなんですか?

恋人がいる、家庭がある、勤め先があって仕事ができる…

それぞれ、さまざまな考え方があることでしょう。

では「不幸」って何?
恋人がいないロンリー状態、独身で一人暮らし、などなど。

私は離婚したり、鬱で会社やめざるをえなくなった経験もある。

けど、そんなに「不幸」だと思ったはないですよ。

あまり「幸せ」「幸せ」を追い求めすぎると、だんだん辛くなるでしょう。

他の人と自分を比較して残念に思うかもしれない。

自分の考える「幸せ」状態にたどり着けない、という思いで落ち込むかもしれない。

そもそも他人の「幸せ」なんてものは、こちらが勝手にそう思っているだけかもよ。

幸せそうに見える本人たちも、内心なにか不満を持っているかも。

あまり「幸せ」にとらわれすぎないで。

「幸せ」を手放せばきっと何かに気が付くと思いますよ。

東京の危機に備えろ!食料と水の準備は急務 #備蓄 #サバイバル

私は東京に住んでいます。

この度、食料と水、その他にも必要なものを準備しようとおもうのです。

一週間程度の食料と水を。

できるところから始めよう、そういう気持ちになりました。

いつかは東京にも起こる!と言われ続けてますね。

昨日は、パックに入ったおかゆを買ってきました。

あとは水を一本。

期限切れの水はトイレや手洗い用にしますわ。

とにかく、自分の事としてできるだけのことを。

行政は何もやってくれない!とか言う前に、あまり他を過信しない方がいい。

そう自分に言い聞かせて。

もちろん、日本政府を信頼していますよ!そうともさ。

でも、自分でできることは自分でやろう。

そんな気になっている令和6年のはじめ。

さぁ、生きるぞ~!

友人は拠点を田舎に移すことには反対、でもどこにいっても応援するよ!と言ってくれた。

今日、友人と会った。

父をなくし、生活の拠点を実家に移そうかと考えていることを伝えた。

友人は「反対派」。

これから自分達も老いていく、その際に首都圏で受けることの出来る恩恵。

3回期位は様子を見て決めてもいいのでは。今の段階で決断するのは時期尚早。

帰郷しても、かならず自分の存在がそこで役にたつのかどうか不明。

などなど。

話を聞いているうちに、たしかに私も焦っていたなぁとは感じました。

この件は全て、私の決断次第なのですよ。

父は次の世の中へ旅立った。これはひとつの節目。

私にとっても首都圏での生活全てに別れを告げることは、大きな節目なのです。

でも最後に彼はこういってくれました。

「もしも、どこかに行ってしまっても応援するよ。行動するその先に間違いはないんだ」と。

そんな、雨のち曇の日曜日でした。

 

 

 

 

 

田舎への引っ越し準備、持ち物を減らすということから始めてみました。

長年住んできた東京を離れ、生まれ故郷の山口県に引っ越すことになりそう。

そんな、私のブログです。よろしくお願いします。

 

先月、父をなくしました。

母もすでに80代、これ以上一人暮らしをさせるのはいかがなものかと思ったのです。

 

とにかく今、手元にあるものを減らそうとしています。

暫くまえに流行りましたね「断捨離」とか。もう死語になっているのでしょうか?

近藤まりえさんのメソッドとか、最近あまり見かけなくなりましたが。

とにかく、この節目に持ち物を減らそう。

余計なものとお別れして新たな人生を始めよう、と考えています。

 

最初にCDの処分に取り掛かりました。

どうしても手放したくないものを除いて、その他のCDは全て処分しよう。

全体の3分の1以下にはなるでしょう。

 

よくもまぁ、これだけも集めたものですよ、手放すものだけで150枚はありそうです。

(盛ってませんよ)

 

亡くなった父も色々と物を集めるのか好きな人でした。

しかし、亡くなったと同時にそれらの遺品たちは私達にあまり意味のあるものではなくなってしまっていたのです。むしろ、処理が面倒なものとでも言うのでしょうかね。

 

私はこの機会に、自分の所持品を今一度見直してみることにしました。

持ち物は少ないほど手間がかからないでしょうからね。

CDのあとに大変になるのは本です、本の山。

 

とにかく、淡々と進めて行くのみ、という状態です。

 

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