与えられたシナリオ、自己の生き方
昨年は父親を亡くした。
その時から、自分の生にも限りがあることに気がついた。
もちろんそんなことはわかっていたのです。
しかし、身近な人の死が、より現実的なものとして、残りの人生を考えさせた。
はたして、振り返ったときに自分の人生はこれで良かった、と思えるだけがほんとにいいことなのか?
そればかり、とも言えないのではないか…
想いどおりにはならなかった人生、でもそれなりに自分でいろいろやってみたよ。
そんな生き方も良いのではないだろうか、などと思ったわけです。
全ての人が、自分の希望する職に就き、もっともふさわしい伴侶を見つけ結ばれる。
というわけにはならないのでしょう…
どんなシナリオが準備されているのかは誰にもわからないのですが。
与えられたシナリオを精一杯やればそれでいいのではないでしょうか?
それはいつも「がむしゃら」にやれば良い、という意味ではないですよ。
与えられた場所でしっかりとやってみる。
もちろん、役割が終わったら次へ移動する…それも大切。
しかし、終わった瞬間に後悔、懺悔、喜び、快楽、それら全てと切り離される。
もっと言えば終わる前に、生きていても自分の身内すらわからなくなる時が来るかも。
老いる、年を取るということが決していけないことではないと思う。
むしろ「老い」を認識して受け止めて生きる、ということは尊い。